わが母校その3 過去の教訓

それは私がインターハイに初出場する18年前の話です。

なんと、その年に女子はインターハイ総合優勝していたのです。
そして、それ以降パタッとインターハイ出場者はいなくなりました。
しかも18年間ずっと。

嘘のような本当の話、みごとな転落ぶりです。

埼玉栄は岐阜インターハイで0点に終わった後、
華麗なる復活を遂げましたが、我が高校はそうもいきませんでした。

要因のひとつははっきりしています。
この年の春、それまで毎年インターハイ出場者を輩出してこられた先生が
転勤されたのです。
総合優勝はその先生の忘れ形見的なモノでした。

それから18年、県大会を突破したのも一回だけという状況だったそうです。

しかも、その人は後に競輪S級に上りつめた、
いわば化け物級の身体能力を持った人でした。

つまり、この18年間指導体制が壊滅していたのです。
今の状況は良い循環が出来ているのですが、
この18年間は逆に悪循環に陥っていたのです。

ここに、私が気がかりな原因があるのです。

恩師の先生が転勤されたとき指導体制はどうなってしまうのか、
先生が変わっても揺らがない伝統が作られているのか

余計なおせっかいかもしれないですが、とても気になるのです。

せっかくインターハイを目指し、一生懸命がんばれる環境があります。
でも、その環境はもしかすると一瞬で崩れ落ちるかもしれないというのが
前例としてはっきりと残っているから気を抜けません。

ゼロからの出発は本当に辛いです。

初めて県大会に出たとき、
周りの高校が強そうに見えて本当にビビりました。
他の選手たちが仲良く話している中
とても細々とスタートを待っていました。

ようやく県大会で高校名が定着し、
違う地区の高校とも交流できるようになった、
こういうことができるありがたさを身をもって知りました。

まさに弱小チームが強くなっていく過程を
自らたどってきました。
本当に絵に描いたような話を体験したのです。

こうやって作り上げてきたブランドを、
自分の目が黒いうちにはまたゼロに戻したくない
それが、母校の陸上部への思い入れになっています。

だから、長期休暇のときには
必ず高校生といっしょに練習をしています。

そして、どうせやるなら上を目指せ!
うちの高校ならそれができるんだ!!

とか言って自分なりに生徒のやる気を上げようとしてみてます。

この気持ちを受け継いでくれる後継者を、
そして、生徒たちが自主的に活動が行える伝統を
作ることができたら安心して身を引こうと考えているのです。
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by taji-kistan | 2005-10-18 01:58 | いわゆる妄想
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